【タイ仏教】アビニャパチャヴェカーナ(いつも心に留めおくこと)

仏教
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どうもふうです。

 

青木保 著『タイの僧院にて』(中公文庫)

を読んでいて、気になった「アビニャパチャヴェカーナ(いつも心に留めおくこと)」という読経について調べてみました。

アビニャパチャヴェカーナ(いつも心に留めおくこと)

タイの僧院では毎夜8時からの読経の終わりに

アビニャパチャヴェカーナ(いつも心に留めおくこと)

が誦えられるそうです。

 

『タイの僧院にて』から引用します。

まずは以下の言葉を先導僧が誦えます。

ハンダマヤン アビニャパチャヴェカーナ

パータム バーナーマ セー

これに続いて、以下の言葉を背後の僧侶が斉唱するそうです。

ジャラーダーモヒィ

ジャラーム アナティト

 

ビャディダームモヒィ

ビャーディム アナティト

 

マラニャーダームモヒィ

マラニャム アナティト

サベヒ メ ピイエヒ マニャーペヒ

ニャニャバーボ ヴィニャーバーボ

 

カンマサッコームヒィ

カンマダーヤード

カンマヨーニ

カンマバントウ

カンマパティサラニョ

ヤム カンマム カリサムミ

カルヤーナム ワ パラカム ワ

タッサ ダーヤード バヴィサミ

エーワム アメーヒ アビニャム

パチャウエキタバム

以下が日本語訳です。

年を経る(朽ちてゆく)のは私の定めだ

年を経ること(朽ちること)を超えることはできない

 

病をすることは私の定めだ

病を超えてゆくことはできない

 

死ぬことは私の定めだ

死を超えることはできない

愛するものも楽しいことも、いま私の手にあるものは、やがて他のものに替えられ、私から離れていってしまうのだ

 

私は自分のカンマを待っている

私はカンマを引き継ぎ

私のカンマに生まれ

私のカンマに結びつき

私のカンマに支えられることは変わらない

私が行なうであろうカンマがどれであれ

善であれ悪であれ

それを私が引き継いでゆくことになる

このことを、いつも覚えておかなくてはならない

引用:青木保『タイの僧院にて』中公文庫 p260~263より

 

 

個人的には

「死ぬことは私の定めだ/死を超えることはできない/愛するものも楽しいことも、いま私の手にあるものは、やがて他のものに替えられ、私から離れていってしまうのだ」

のあたりが考えさせられます。

調べてみる

単語を調べよう!

こういうものを見ると、仏典ではどこに書いているのだろう?と調べたくなってしまう人です。笑

(以下、気になる方のみ読んでください。笑)

ということで、

「アビニャパチャヴェカーナ」とカタカナのままでネット検索してみます。

たぶんパーリ語がでてくるはず!

しかし、3件は仏教関連が出てくるが。。ローマ字パーリ語では出てこない!

 

ならば、しかたない。本で単語から調べるか。。。

多分、「アビニャ/パチャ/ヴェカーナ」という区切りかな?とあたりをつけて

水野弘元『増補改訂 パーリ語辞典』春秋社

で引いてみました。

abina → なし

abinaya → なし

abi という綴りではないのか。。

 

ということで

abhi で引いてみると、

それっぽいものが!

 

abhiṇhaso 副詞 abhiṇha の 奪格

常に、しばしば」という意味のようです。

多分これだ!

 

 

それでは、パチャ○○の方を調べよう。

pacca と引いていくと

paccavekkhaṇa がありました。

意味は「観察、省察

おそらくこれですね。

パチャヴェカーナでひとつの単語でしたね。

 

ということで、

「アビニャパチャヴェカーナ」がパーリ語で abhiṇha paccavekkhaṇa であると分かりました!笑

 

そして、今度はabhiṇha paccavekkhaṇaでネット検索していくわけです。

長い旅だ。。

 

ネットが誕生してこんなに簡単に検索できるようになるなんて。

勉強し放題ですね。笑

abhiṇha paccavekkhaṇa で調べる

abhiṇha paccavekkhaṇa でネット検索すると結構出てきます。

一番上にヒットしたサイトに入ってみます。

https://github.com/siongui/pali-chanting/blob/master/content/articles/abhinha-paccavekkhana%25zh.rst

すると、abhiṇha paccavekkhaṇa pāṭha 經常省察文 という文字があります。

Jarādhammo’mhi jaraṃ anatīto 我有老法,無法避免老;
Byādhidhammo’mhi byādhiṃ anatīto 我有病法,無法避免病;
Maraṇadhammo’mhi maraṇaṃ anatīto 我有死法,無法避免死;
Sabbehi me piyehi manāpehi nānābhāvo vinābhāvo 一切我所喜愛、可意的會分散、別離;
Kammassako’mhi kammadāyādo kammayoni kammabandhu kammapaṭisaraṇo yaṃ kammaṃ karissāmi kalyāṇaṃ vā pāpakaṃ vā tassa dāyādo bhavissāmi 我是業的所有者,業的繼承者,以業為起源, 以業為親屬,以業為皈依處。無論我所造的是善或惡之業, 我將是它的承受者。
Evam amhehi abhiṇhaṃ paccavekkhitabbaṃ 我應當如此經常地省察。

出典:https://github.com/siongui/pali-chanting/blob/master/content/articles/abhinha-paccavekkhana%25zh.rst

それっぽい文がでてきました。

こんどは出てきた本文で検索しよう。

The Pali Tipitaka(Vipassana Research Institute)

パーリ語の経典を読めるサイトがあるんですね。

The Pali Tipitaka
Digital reproduction of the authenticated Tipitaka texts from the Chaṭṭha Saṅgāyana

ここで検索してみましょう。

先ほどのサイトで調べた1文目の Jarādhammo’mhi jaraṃ anatīto のあたりを検索してみると、0件です。

少し変えて、Jarādhammomhi で検索すると2件出ました。

そこに、書いてあるのは、

Tipiṭaka (Mūla) Suttapiṭaka Aṅguttaranikāya Pañcakanipātapāḷi (6) 1. Nīvaraṇavaggo

スッタピタカ、アングッタラニカーヤ、Pañcakanipāta Nivarana-vaggo

つまり経蔵の増支部経典の五集の蓋品、だということが分かります。

この辺を特定するのにWikiが役立ちます。笑

コチラ → https://ja.wikipedia.org/wiki/パーリ仏典

 

さて、ともかく、

Jarādhammomhi という文字列がヒットしたわけです。

 

ひとりテンションで上がってます。笑

7. Abhiṇhapaccavekkhitabbaṭhānasuttaṃ

57. ‘‘Pañcimāni, bhikkhave, ṭhānāni abhiṇhaṃ paccavekkhitabbāni itthiyā vā purisena vā gahaṭṭhena vā pabbajitena vā. Katamāni pañca? ‘Jarādhammomhi, jaraṃ anatīto’ti abhiṇhaṃ paccavekkhitabbaṃ itthiyā vā purisena vā gahaṭṭhena vā pabbajitena vā. ‘Byādhidhammomhi, byādhiṃ anatīto’ti abhiṇhaṃ paccavekkhitabbaṃ itthiyā vā purisena vā gahaṭṭhena vā pabbajitena vā. ‘Maraṇadhammomhi, maraṇaṃ anatīto’ti abhiṇhaṃ paccavekkhitabbaṃ itthiyā vā purisena vā gahaṭṭhena vā pabbajitena vā. ‘Sabbehi me piyehi manāpehi nānābhāvo vinābhāvo’ti abhiṇhaṃ paccavekkhitabbaṃ itthiyā vā purisena vā gahaṭṭhena vā pabbajitena vā. ‘Kammassakomhi, kammadāyādo kammayoni kammabandhu kammapaṭisaraṇo. Yaṃ kammaṃ karissāmi – kalyāṇaṃ vā pāpakaṃ vā – tassa dāyādo bhavissāmī’ti abhiṇhaṃ paccavekkhitabbaṃ itthiyā vā purisena vā gahaṭṭhena vā pabbajitena vā.

出典:https://tipitaka.org/romn/cscd/s0403m1.mul5.xml

[赤色太字はふう(筆者)によるものです。]

 

一部(赤の太字の部分)は同じですが、違う文も入っているようです。

おそらく、お経の中の一部分を日常的に読むようにしているのかな?と推測します。

(専門家ではないので、詳しいことはわからないです!)

パーリ語は全然読めないので、ネットで読めるパーリ仏典の翻訳で確認しよう。

光明寺経蔵で翻訳を確認してみる

ということで、「光明寺経蔵」というサイトを参考にさせていただきます。

コチラ→ https://komyojikyozo.web.fc2.com/index.html

以下の引用も光明寺経蔵からです。

「光明寺住職(真宗大谷派所属)による仏典翻訳のサイト」だそうです。

元来、個人的な勉強のために始めた翻訳ですが、仏教に興味のある方の読み物として、またパーリ語を学ぶ学生さんの勉強や、研究者の方のちょっとした調べ物に役立つこともあるかとおもい、HPとして公開しました。

とのことで、僕のような物数奇なアマチュアにはありがたい。。

 

しかし、増支部の五集はまだ未翻訳(未公開)のようでした。(2019年10月13日時点)

ということで、確認するには原始仏典の翻訳本を読むしかないか。笑

 

「光明寺経蔵」さんは結構たくさん翻訳をしているので、パーリ語を勉強したいときには参考になりますよ!

ちなみに

先導僧がとなえる

「ハンダマヤン アビニャパチャヴェカーナパータム バーナーマ セー」

とは何かを、調べると

Handa mayaṃ Abhiṇha-paccavekkhaṇa-pāthaṃ bhaṇāma se

という綴りのようです。

handa は「いざ [勧めうながす語]」という意味。

bhaṇāti は動詞で「話す 語る」という意味。

まとめ

「アビニャパチャヴェカーナ(いつも心に留めおくこと)

はパーリ語で abhiṇha paccavekkhaṇa

と書くことが分かりました。

意味は辞書通りで直訳すると「常に観察」「常に省察」といった意味。


とまあこんな感じで、暇があったら、こんなことしています。

もう少し詳しく分かったら追記します。

 

それじゃあ

またね~

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