どうも、ふうです。
少し本を読んでいて、思ったことを書きます。
読んでいたのは、
アルボムッレ・スマナサーラ著『心を整える8つの脳開発プログラム 悩みを生み出す「大脳」と「原始脳」のメカニズム』(サンガ)
です。
日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の著書です。
この本の中で、こんな質問がありました。(p.200~201)
質問7 子どもの言語(コード)を理解する方法を教えてください。
その質問に対して、スマナサーラ長老はこう答えている。
長老の答え7 注意深く読み取る感じで子どもと一対一で話します。
「子どもの言語がわかる」ということは、その子のものの見方、本人がどのようにものごとを考えているのかがわかる、ということです。これは秘密な部分なので、なかなか他人にバラしてくれないものです。例えばサッカーが大好きな子だからといって、サッカーについていろいろ語り合えば言語(コード)が出てくるかといったら、ちょっと微妙です。
どうすれば引き出せるか、これは本や講演会で説明できるものではありません。基本的には、子どもが自分の行動をいちいちぜんぶ教えてくれたりはしません。いくらかは無理やり盗み出します。盗むというか、ハッキングする感じです。いろいろな質問をしたり、チェックしたりして、子どもの心をハッキングするのです。ハッキングすると、子どものコードが見つかります。すべては見つからないかもしれませんが、いくらか見つけたら、そこから教えてあげたりすることはできるようになります。
子どもたちは私と話していると、誰にも言わないことまで、なんのことなくだらだらと話し始めたりすることもあります。かえってこちらがドキッとします。信頼して言っているのですね。たとえば、「実はこんなことしちゃったよ」などという場合は、本人の知らないうちに直してあげたりしたこともあります。そのときにはもう、私はその子の言語がわかっているので、一言で教えることもできます。
これを読んで、ハッとさせられましたね。
まず、「言語(コード)」という表現が印象的なんですが、
日常的な意味の言葉というよりも、より深い意味での言語のことを指しているのだと思います。
プログラミングで言うところのソースコードのような。
マトリックスで言うところの、ネオが空中にコードが見えているときのような。笑
まあ、実際に空中に見えるということではありませんよ?
個人的には言語(コード)というのは
各人がもっているそれぞれの言語、独特の言葉遣い、振る舞い方、より大きな言葉で言えば世界観のことだと考えています。
あるいは簡単な言葉で言えば、こだわりや個性といっても良い。
通常、裏に隠れているものです。
それを、スマナサーラ長老の言葉で言えば、注意深く読み取る・盗む・ハッキングする。
まあ、「盗む」とか「ハッキング」というとちょっと、そんなこと勝手にするのやめてほしいという思いもわき起こってしまうので、よりソフトな、注意深く読みとるという表現でいきましょう。笑
改めて言うと、コードを注意深く読み取るには、一対一の対話が必要なわけです。
例えば、「いろんな質問をしたり、チェックしたりして、子どもの心をハッキングするのです」とスマナサーラ長老は言っているわけです。
そういえば、メンタリストDaiGoさんも「共感力」の話をするときに近いようなことを言っていたような気がします。(しかしそれはまた後から確認してみます。笑)
あるいは、哲学者の千葉雅也さんが『勉強の哲学』の中で言われる言語・コードの話とも、共鳴するところがある。と僕は思っているのですが。。これも後日、本を読み返してみますね。
閑話休題
話を戻します。
この話って、子ども相手でなくても、同じことなのだと思います。
「一対一の対話」をして相手の反応を見ながら、相手のこだわりを見つける、ということは、難しいことではあるんだろうけれど、対話ってそういうことなのかもな。。と思いました。
うーん。。。
ことばが、まとまらない。笑
この辺についてさらに考えてみたいですっ!
ということで、
またね~